琉球古武道 金剛流とは?
琉球古武道金剛流とは、「琉球古武道中興の祖」と謡われた平信賢師より第一号師範免状を受けた武道家
坂上隆祥師によって創流された古武道の流派であり、現存する琉球古武道の道場としては、日本本土で最古
のものです。
1.琉球古武道とは
琉球古武道とは、長短各種の武器を用いて行なう得物術で、琉球(沖縄)古来より伝わる諸武術の総称である。古武道の代表的な武具としては棒(棍)、釵(サイ)、トンファー、ヌンチャク、二丁鎌などがあり、そのいずれもが世界的に類例を見ることのない特色を持っている。
その発生や起源については、琉球固有の武術とし親しまれている空手道と同様に明確な年代、体系が判然としない。しかし、古来武道の達人が実戦または自らの修練した技法を記憶に便利な「型」として残されたものが今日まで伝承されてきた。
徒手空拳を持って戦う空手道と本来、表裏一体の関係にあるはずの武器術「琉球古武道」は、空手道の目覚ましい発展の反面、日陰の存在であった。こうした状況を危惧した屋比久孟伝師(1878-1841)や、摩文仁賢和師(1889-1952)は、琉球古武道の普及や型の保存に務められたのである。
屋比久孟伝師門下で、琉球古武道中興の祖と謳われた平信賢師(1897-1970)は「琉球古武道保存研究会」を昭和15年(1940)に設立し、八種からなる「琉球古武道」を集大成しその普及に生涯を捧げられた
2. 金剛流 黎明期
平信賢師は、昭和32年(1957)より長期に渡り坂上家に逗留し、糸洲会総本部道場で琉球古武道を指導された。当流に伝承されている琉球古武道の型の多くは、平信賢師より伝承されたものだが、摩文仁賢和師から伝授された型も保存継承している。
平信賢師は、昭和36年(1961)11月、「琉球古武道保存振興会」の設立時に、坂上隆祥師(1915-1993)を関東本部長に任命している。
坂上隆祥師は、昭和35年(1960)5月に第1号師範免状を授与。後に古武道普及に多大な貢献をした功績により、昭和38年(1963)には範士八段を授与される。
坂上隆祥師の長男である坂上節明は、昭和29年(1954)より父隆祥師より空手道、剣道の教えを受ける。昭和35年(1960)より平信賢師に師事し、昭和44年(1969)11月に「琉球古武道保存振興会沖縄総本部」より「師範、関東本部長」に任命される。
父隆祥師の著書である「琉球古武道シリーズ」や「ヌンチャク・釵」などで、実技モデルを務めているのは 坂上節明である。特に昭和45年(1970)10月に東京で開催された「第1回世界空手道選手権大会(WUKO)」では、父隆祥師と「琉球古武道・釵対剣」を演武し満場を魅了させた。
また特に、上記、坂上隆祥師著の「琉球古武道シリーズ・ヌンチャク基本型」(昭和43年(1968) 4月発行)は、日本語と英語で出版された初の古武道教本として、諸外国で大きな注目を集める。
後に、坂上隆祥師が渡米の際、俳優ブルース・リーの母親であるグレイス・ホウ(何愛瑜)の知遇を得る事となるが、この際グレイス本人より、ブルース・リーが本書を参考にヌンチャクの使い方を研究していたという事実を知らされる。
3. 金剛流の創流
平信賢師の没後、当流は「琉球古武道保存振興会関東本部」として活動を続けていたが、昭和59年(1984)1月、坂上隆祥師はこれまで培ってきた他武道の長所を取り入れ「琉球古武道金剛流」を創始した。
金剛流を継承した坂上節明(主席師範)は剣道、杖道、居合道にも精通し武器術の扱いは理論的であり長年にわたり口授伝承であった金剛流を、さらに独自の研究も加味し金剛流の技術体系を確立した。平成22年(2010)4月に「琉球古武道金剛会」を設立し、金剛流の普及振興に努めている。
また、一般に広く理解され楽しめる古武道にするには、他の近代武道のように自由に打突攻防ができる競技化が普及に役立つと考え安全具、器具の開発にも取り組んでいる。
4. 金剛流の名前の由来
仏教に深く帰依していた坂上隆祥師は空手道、剣道、杖道、居合道など、さまざまな武道を通じて得た境地を、密教における悟りを描いた『金剛界曼荼羅』にたとえ、自らの琉球古武道の流儀を「金剛流」と命名した。